よもぎ色の風に染まって

人生萬事大丈夫 ー まさき しんた

一月病

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小寒から一週間経つ。この時期、ぼくの体は微妙である。暖かさがわからないのだ。

「今日は暖かいね」などと言われても、さほど暖かいとは感じない。
逆に「今日は寒いね」と言われると、体が過敏に反応して、一段と寒く感じてしまう。
のどが渇くと、イガイガしているような気がするし、ちょっとした冷えでさえ悪寒のように感じてしまう。
鼻炎気味なので、朝方にいつもクシャミをするのだが、それさえも風邪の諸症状のような感じがする。

そのたびに薬を飲んでいる。薬を飲めば飲んだで、風邪を引いているような気分になってしまう。

ぼくは、何でも風邪と思ってしまう状態を、一月病と名付けている。五月病とかと同じく、一種の気の病である。この日記に、風邪気味だと書いている時は、おそらくそのほとんどは風邪ではなく、この一月病の類いだと思う。

一月は薬代がかかる。普段の月は、市販の薬など買うことはほとんどない。たまに湿布薬や目薬を買う程度だ。ところが、一月はしょっちゅう葛根湯を買っている。時には1万円を超えることもある。
とにかく、手元に葛根湯がないと安心出来ないのだ。これも一月病の症状だろう。

人生萬事大丈夫

 

人生萬事大丈夫

答は暮らしの空にある

暮らしの空を舞っている

 

人生萬事大丈夫

答は暮らしの道にある

暮らしの道に生えている

 

人生萬事大丈夫

答は暮らしの底にある

暮らしの底で湧いている

 

人生萬事大丈夫

答は暮らしの中にある

暮らしの中で待っている

【日記選】西部警察 (2002年1月21日付)

 

20年ほど前(1980年代中頃)の話。
当時働いていた店に、ちょっと変わったおっさんが、毎日のように来ていた。
 

バイクの免許も持ってないくせに、フルフェイスのバイクのヘルメットをかぶり、キョロキョロしながら店の中を歩きまわったり、
いつも、ぶつぶつと独り言を言っていたり、
接客をしていると、わざわざ横に来て、こちらの顔を覗き込んだり、
・・・と、店にとっては、わりと迷惑なおっさんだった。

いつだったか、こんなことがあった。
いつものように、ヘルメットをかぶって、おっさんが登場した。

その日は服装が違っていた。
なんと、ヘビメタ少年のようなスタッズ付きの革ジャンを着込んでいたのだ。
そして、変に肩を怒らせて歩き、周りを見回しては、「ガー」などと言って威嚇していた。
ぼくたちはそれを見て、「相変わらずバカやのう」と言って笑っていた。

ちょっと離れた場所に、おっさんをジッと見ている一人の小学生がいた。
おっさんはそれが気に入らなかったのか、小学生に駆け寄って行き、何か言った。
小学生は「ばーか」と言いながら、こちらに逃げてきた。

「どうしたんね?」とぼくが聞くと、
「あのおいちゃん、黒い手帳を見せて『逮捕する!』と言った」と小学生は答えた。
「手帳?」

「うん、『西部警察手帳』やった」

成人式の話

 

1,
 明日は成人の日。こちら北九州市では、本日成人式が行われる。またド派手成人式とかで、テレビで取り上げられるはずだ。
 
 さて、ぼくの成人式は昭和53年、今年と同じ午年だった。
 現在、北九州市の成人式は一つの会場で行っているが、その当時は旧5区ごとに会場を設け、厳かに式典をやっていた。
 
 ちなみに、当時はド派手な衣装を着込んだ人などいなかった。

2,
 昭和53年当時のぼくは、浪人時代の真っ最中で、友達に会うことさえも気が引けるような有様だった。その状態で、堅苦しい式典の場に行くというのは、苦痛以外の何ものでもなかった。

 親は朝からしきりに
「式に行ってこい」と言っていたのだが、ぼくは
「誰があんなところにいくか!」と出席を拒んだ。
「じゃあ、せめて親戚だけでも回って来い」と言われ、しぶしぶ慣れないスーツを着て親戚回りをした。

 途中、道行く人たちから指を指され、
「あっ成人式だ」などと言われて恥ずかしい思いをしたものだ。

 親戚宅に着くと、伯母が待ってましたとばかりに写真を撮り始めた。
「そちらを向くな」とか「もっと嬉しそうにしろ」とか、いろいろ注文をつけてくる。ぼくが
「もういいやん」と言うと、
「何を言いよるんね。今日は記念日やないね。こんなことは一生に一度しかないんよ」と文句を言いながら撮りまくっている。

 いい加減うんざりしたが、ご祝儀をくれたので、「まあ、いいか」という気分になりポーズをとった。帰り際に
「写真が出来たら連絡するけ、取りにおいで」と言っていた。
 しかし、その後親戚からの連絡はなかった。それもそのはず、何と伯母ちゃん、フィルムを入れ忘れていたのだ。

 文句を言いながらフィルムなしのカメラのシャッターを押し続ける伯母と、うんざりしながらも笑顔でポーズをとり続ける甥、その間抜けな光景を思い出すと、今でも笑ってしまう。

3,
 その日の午後、年末までいっしょにバイトをやっていた連中から、「お前の成人を祝ってやるから来い」と電話があった。
 駅で待ち合わせ、そこから車である人の家に行った。その家に、知ってる人知らない人、合わせて十数名の人が集まり、豪華な料理でぼくを祝ってくれた。

「今日から大っぴらに飲めるのう」と何杯も酒を飲まされた。かなり酔いが回ってきたところで、
「今日はお前の歌を聴いてやるから、好きなだけ歌え」と言われた。

 調子に乗って、2時間近くも歌いまくった。酔いも手伝って、何を歌っているのかわからなかったが、とにかくギターをガンガン弾いて、大声を張り上げ歌っていた。最後には声が枯れてしまい、気分が悪くなった。さんざん飲み、さんざん歌って、ぼくの成人式は終わったのだった。

4,
 そうか、あれからもう48年経つのか。
 48年前、、、
 こんなに頭が真っ白になるなんて思ってもいなかった。
 スマホにハマッているなんて思ってもいなかった。
 いまだ現役で働いているなんて思ってもいなかった。
 こんなくだらん思い出話を披露しているなんて思ってもいなかった。
 48年がこんなに短いとは思ってもいなかった。

チンチン電車の夢

 

1,
 この街のチンチン電車がなくなったのは2000年だった。もう26年経つわけだが、今でも時々チンチン電車の夢を見ることがある。

 その内容のほとんどが、
『渋滞でバスがなかなか来ない。「このままだと遅刻する」と思い、電停まで走って行く』
 というもので、あまり思い出したくないことばかりを再現してくれる。

 とはいえ夢は、当時の電停付近の風景や、電車の車内を正確に再現してくれている。その当時の乗客の服装などを再現してくれることもある。たまに近くの民族学校の制服や、職工さんの油の染みた作業着が、夢の一風景として登場する時もある。

2,
 今日、久しぶりに、そのチンチン電車の夢を見た。相変わらず遅刻に絡む夢だったが、いつもと違うことがあった。それは電停のホームのことだ。

 ぼくがいつも利用していた電停だが、そこは上りと下りのホームが真向かいにあるのではなく、バス道路を隔てた場所にあった。上りのホームが下りのバス停側、下りのホームが上りのバス停側という具合だ。

 で、何が違っていたのかというと、そのホームの位置だ。上りと下りのホームが真向かいになっていたのだ。夢の中では違和感はなかったのだが、目が覚めてから考えてみるとすごく違和感を感じる。

 26年の時が記憶を曖昧にしたのだろうか。記憶という遺産の崩壊が始まったようで、ちょっと寂しい気がする。

3,
 その電停に絡んだ話だが、実はその電停、バス道路の上り車線方向に下りの電停が、下り車線方向に上りの電停があった。しかもそのバス停は、どちらも踏切を越えた所に設けていた。

 つまり上り方面に行く時は、電車の踏切を越えた所にある上りのバス停で降り、踏切を渡り、道路を横断して、ようやく上りのホームにたどり着くということだ。

 逆に下り方面に行く時は、上りのバス停側にある下りホームで降り、踏切を渡り、道路を横断して、ようやく下りのバス停にたどり着くのだ。

 電車が走っていた当時はそう思わなかったのだが、今考えると実に面倒なことをやっていたわけだ。

 上りの電停は上りのバス停側に、下りの電停は下りのバス停側にあるのが普通ではないのだろうか。さらにバス停も互いの手前に設けるのが普通だ。そうすれば、電車が発車するまで踏切で待たなくても済むのだし、道路も横断する必要もなくなるのだ。

 電車とバスを併用する際、その手間暇のせいで、何度電車やバスに乗り遅れたことか。

記憶の中の小さな家

子供の頃、

近所の公園の藪の中に

小さな家が建っていて、

そこに人が住んでいた。

そんな記憶があるのだが、

あれは何だったのだろうか。

 

単なる記憶違いなのだろうか。

幼児期に見た幻なのだろうか。

当時を知る人に聞いても

そんなものなかったと言うし、

今はその公園もないから

調べたくても調べようがない。

 

・・・・謎は死ぬまで続くだろう。

変わってる

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1,
「変わってるね」
 この言葉、小さな頃から何百回、何千回言われてきただろう。変わっていると言われても、ぼくにとってそれが普通なので、どこが変わっているのかわからなかった。そこでいつも
「あんたの方が変わっとるやん」と返していた。
 今は『個性』という括りで受入れるのだろうが、当時は『変人』括りでなかなか受入れてもらえなかったのだ。

2,
 ぼくが『変わってる』を受入れるようになったのは高校の頃だ。ボブ・ディランやジョン・レノンの自伝を読んで、彼らがそう言われてきたと知ったからで、その頃から『変わってる』は誇らしいことではないのかと思うようになった。

3,
 時代が『個性』という言葉を尊重するようになったのもその時期からだったと思う。

 そのせいなのか、その頃から周囲に奇をてらう人間が増えてきた。「変わってる」と認めてもらいたかったのか、妙な格好をしたり、わけのわからない言動をとったりするのだ。

 「変わってる」と言われ続けてきたぼくには、元々変わってる人なのか、そうでない人なのかが何となくわかった。そうでない人の言動は痛々しかった。人と逆の言動をとっているだけだったのだ。

 そういえば、その頃、それまでぼくのことを、散々「変わってる」と言っていた人間が、変わり者のふりをしていたことがあった。
 その時その男はぼくに、
「これからは個性の時代だ」などとのたまっておりました。
 
4,
 40代に入り、ぼくはブログを書くようになったのだが、その頃からその考えが少しずつ変化してきた。

 記事を読んだ人から、
「そういうふうに考えることあるよ」
「私もそういう行動をとることがある」
 などというコメントをいただき、
「おれ、まともやん」
 と思うようになったのだ。

5,
 ところが最近では、
「それは喜ばしいことではない」と、思うようになっている。
 だって、『まとも』を認めてしまうと、『そのへんのおっさん』になるわけじゃないですか。
 それが面白くないわけで、、、
 
 ということで、現在ぼくは、『まとも』を喜べない変わり者になっております。